気まぐれ日記 08年7月

08年6月
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7月1日(火)「ガソリン価格は上昇するけれど・・・の風さん」
 
昨日、帰宅途中でミッシェルに給油したが、ガソリンスタンドがすごい混みようだった。昨日の新聞では「7月からガソリンが値上げ、いよいよ180円に」と書いてあったが、まさか月初からではないだろうと、高をくくっていた、と言うか、地球環境保全のためには、ガソリンの無駄遣いを防止する効果があるので、ガソリン高騰の理由はともかくとして、仕方ないと思って記事を眺めていた。ただ、昨日はガソリンスタンドがイベント期間中だったので、寄って給油したのである。
 そうしたら、今朝、そのガソリンスタンドの値段がしっかり15円/L上がっていた。1日違いの差額はたかだか数百円なので、すごく得した気分ではないが、しっかり月が変わって上がる点が、スピードの時代を感じた(笑)。
 どうせ私は毎週給油しているので、いちいちガソリンの値段の動きに合わせて給油している余裕はない。
 話は激しく変わって、昨年夏、全国和算研究(松山)大会に参加して面白かったので、今年の群馬大会にもぜひ参加したいと思っていた。
 しかし、9月の国際学会、10月の経営工学会で発表したり、論文投稿をすることを考えると、とても出かけている時間はないと思ったので、群馬県和算研究会会長の小林龍彦先生へ、「行けません。すみません」メールを、昨夜出していた。断腸の思いというのはちと大袈裟だろうが、残念なことは本当に残念だ。知り合いもたくさんできていたので。
 小林先生からは「論文や発表、頑張ってください」と励ましのメールを頂戴した。ありがたいことである。

7月2日(水)「皆さん、心配してくれて、ありがとう・・・の風さん」
 
英語の論文の締め切りが迫っているのに、まだ内容が固まらない。
 今日は午前中の出社を遅らせて、自宅で最後の抵抗(?)をし、それを大野先生へメール送信してから製作所へ出社した。送ったのは、論文の全体構成が分かるドラフトで、まだ日本語である。
 夕方、本社へ出張し、5時半過ぎに、まだ終わらない会議を失礼して、本山キャンパスへミッシェルで直行した。
 いつものように事務室でパソコンとプロジェクターを借りて、論文のドラフトを映し出す準備をして大野先生を待った。しかし、連日の無理がたたって、頭はボーッとしていた。
 やや遅れて到着した大野先生は、いつものように、重そうなリュックを背負い、今夜はさらにぎっしり入ったウェストバッグまで腰に巻いていた。まるで、これから密林を探検でもしそうな感じである。
 約2時間ゼミをしたが、私は疲労困憊、大野先生は空腹で目が回っておられたようだ。
 「とにかく、早く英語にできるように頑張ってください」
 ということで、今夜は終了となった。
 帰宅して、ゼミの間に友人からケータイへメールが入っていた。私の体調不良を心配する内容だった。近頃、こういった心配をしてくれる人が周囲に多い。大丈夫だよ、と言いたいところだが、本人も不調を自覚しているので、あっさり否定できないのが苦しい。
 でも、せめて背筋を伸ばして、明るく行動しよう、とは思う。
 今夜は、ゆっくり風呂に入って、早めに寝た(それでも、午前1時)。

7月3日(木)「たばこの値上げについて・・・の風さん」
 
たっぷり寝てもなかなか疲労はとれない。落ち着いて体力アップ・トレーニングができる日はいつ来るのだろう。
 会社は相変わらず忙しいが、同僚や部下を信頼して任せないと、今の私はすべてで破綻しかねない。
 昼休みだけでなく、寸暇を惜しんでシミュレーションを実施したエクセルファイルの整理をした。土日は論文用の英語作成に集中するので、こういった雑務に割く時間はなくなるからだ。
 今日は早めに帰宅できたので、DIYショップへ寄ってミッシェルで使う時計を購入した。自主的な市場評価モニターを目的に、職場の開発品が組み込まれているナビを装着しているので、時計がとても見にくいのだ。電池式のスタンドアロン時計を見やすい位置に取り付けるためだ。……と言いながら、お金を使って少しでもストレス解消しようというのが本音である。
 家でも論文用の図などの編集に集中した。時間がかかるが、あまり頭脳は使わないので、疲労した心身でも何とかやれる。
 ところで、今朝の新聞だったか、世界のたばこの値段比較が掲載されていた。一番高いのはイギリスで、なんと、1300円もする。合法的な麻薬価格なのだろうか。先進国は軒並み高額で、伝統文化に比例している観さえある。そういう意味で、日本の平均300円というのは、何か時代錯誤を連想する。
 新聞記事では、もし日本のたばこの価格が一気に1000円になったら、はたして税収入は増えるだろうか、というつまらぬ内容になっていた。税収入を増やすのが目的なら、もっと有効な手段はある。それより国民の健康増強を目的にすべきだ。
 たばこの売価が上昇して喫煙者が増えることはない。程度は分からないが、国民の健康度が上昇する可能性は大きい。そうなれば、病院へ行って健康保険を使用する頻度はは減るのだ。政府は、健康保険が維持できなくなっているために、企業の厚生年金に上納金を強いている。ウィークデーはサラリーマンをやっている風さんなので、複雑な税のからくりの一端が身に降りかかっていることを最近を実感した。
 大学時代既に周囲に喫煙者は少なくなっていた。近年、たばこは女子供が吸う、原始文明の名残りになりつつある。ピアスやタツー(入れ墨)も同様だ。そのうち、歯を抜いたり、歯に切れ目を入れることが流行るだろう。鉄漿(おはぐろ)も復活するかも。ちょんまげも……。

7月4日(金)「英語の論文作成がちっとも進まない・・・の風さん」
 今日から3日間、日本機械学会生産システム部門の研究発表・講演会が開催される。愛工大で生産システムの研究に取り組んでいる自分としては、所属しているこの部門の研究発表会・講演会は以前からマークしていた。
 しかし、とても行ける状態ではなかった。
 何しろ来週末までに出さなければならない英語の論文が全くできていないのだ。今週は会社でもわずかな時間を見つけてシミュレーションデータの整理など、やれるだけのことをやってきた。しかし、最大の難物、英語の本文作成がさっぱり進展していないのである。
 最初に日本語の論文がだいたい完成していれば、内容的にはいくらか進歩をさせねばならないが、英文は日本語を英訳すれば済むだろう。ところが、日本語の論文も書けていないうちに、いきなり英語の論文を作成しなければならない瀬戸際に追い詰められてしまった。
 今日は、朝から本社へ直行して二つの会議をこなしてから、すぐに製作所へ。昼食を摂るが早いか、昼一番からISO14001サーベイランスを受審。それからまた会議が続いて、やっと缶コーヒー買って席でひと息入れようかと思ったら、もうISO14001サーベイランスのクロージングミーティングが始まる時刻を過ぎていたので、そのまま会議室へ直行。担当職場も製作所も、今年は無事に終了した。
 この週末は、職場の現場のレイアウト変更工事もある。事故が起きないことを祈りつつ退社した。1週間で15円上昇したガソリンを入れて帰った。

7月5日(土)「終日英作文に励む風さんの巻」
 午前10時前に暑くて目が覚めた。英作文は体力を消耗するので、できるだけ休養・栄養・睡眠をとってから着手しなければならない。
 論文は全部でA4で6ページある。図やデータが豊富にあるので、英文は実質半分くらいだ。それでもけっこうな量である。
 書斎に入ると早くも熱気を感じる。屋外はかなり気温が上がっているらしい。エアコンのスイッチを入れて小さな窓のブラインドを開けようとしたら、足元に茶の中ゴキがくたばっていた。昨夜、書斎を閉店にしようとしたとき、ブラインドにへばりついているのを発見してゴキジェットで駆除したやつだ。どこかへ逃げ込むこともなく、カーペットの上でお陀仏になっていた。きっと行いの正しかったゴキに違いない(あ、これ、ジョークです。悪事を働いていると畳の上で死ねないって人間なら言うでしょ? それのモジリ)。
 立ち上げたパソコンのデスクトップをチェックして、勝手に立ち上がっているソフトを次々に終了させていく。パソコンが不調になると作業能率が低下する。この週末はほとんどやらないが、エクセルで計算と同時にグラフ作成をやっていると、パソコンがフル回転を始める。デュアルコアで3.2GHzのCPUを搭載しているのだが、意外とへぼいパソコンだ。
 その間に、またまた楠木誠一郎さんから新刊が届いた。
 『江戸の御触書』(グラフ社)。これって、時代小説家の自分にとって参考書になるんじゃない? それにしても、毎月のように出るな。驚きも通り越している(^_^;)。
 今日は『和算小説のたのしみ』の3刷も届いたので、父の霊前へ供えた。
 (南無釈迦尼仏)
 そして今日はメールの送受信も中止して頑張り続けた。
 結局、午前1時過ぎまで頑張って、半分までしか行かなかった。悪い予感。

7月6日(日)「午後11時に覚悟を決めた風さんの巻」
 今朝も午前10時前に暑くて目が覚めた。暑いだけでなく、昨日から足腰が痛くてかなわない。じっとしているために痛くなったのか、それとも冷房病か、よく分からない。苦痛に対しては(ジェットコースターを除いて)かなりの忍耐力のある風さんだが、椅子に座っているだけでも痛いので、英作文・・・じゃなくって論文作成のスピードに大いに支障がある。
 今日も激痛がおさまらないので、昼過ぎにロキソニンを服用した。頚椎症がひどくなったときのための痛み止めで、大事に使っているので、ちゃんとストックがあるのだ。
 ありがたいことに、このロキソニンが効いてきた。
 夕方からスピードアップできた。
 しかし、どう考えても今夜中に終わりそうではなかった。明日は朝から本社で会議で、その後東京へ出張するので、今夜はあまり無理ができない。しかし、しかしである。明日せっかく本社へ行くので、重役のハンコをもらって社外発表許可申請というか、英語の論文の内容をしかるべき部署にチェックしてもらうために提出したいのだが、できないのかぁ?
 午後11時近くなって、ぼけた頭を殴られたような衝撃があった。明後日火曜日の午後に、製作所のボランティア活動の一環で、地元の中学校で社会人講話を頼まれていたのを思い出した。いや、頼まれていたのを思い出したというのは表現が甘い。はっきり言おう。準備していなかったこと、できれば今日までに準備しておくつもりだったことを思い出したのだ。
 ガーン!
 今夜このまま寝て、明日、東京出張から帰って準備するのではリスクが高すぎる。何かあったら大変なことになる。たとえ明日の夜準備ができたとしても、やりかけている英語の論文はきっと中断したままだろう。
 そう思うと決断は早かった。
 一昨年秋田高校で講演したスライドを参考にして、もっと易しいバージョンのスライドを急いで作った。持参するサンプルも用意した。それでも約2時間はかかったろう。
 午前1時過ぎに平然と階下へシャワーを浴びに行った。
 さっぱりしたところで、また書斎へ逆戻りだ。
 (英語の論文ができるまで寝ないぞ)
 時計の針が進むのも気付かないほど集中した。
 しかし、夜が白々と明けるころには、疲労でかなり能率が低下してきた。
 朝の早い次女が起き出して、学校へ出発した。午前6時前だ。
 あと少しができない。中途半端では重役のハンコをもらうわけにはいかない。しかし、本社へ行くためには、遅くとも7時半には自宅を出なければならない。焦った。

7月7日(月)「徹夜して何とか計画通り・・・の風さん」
 できたばかりの論文の印刷をし、顔を洗い、ひげを剃って階下へ。午前7時半だ。朝食を摂っている時間もなかった。
 ミッシェルに乗り込む私を追いかけるようにして、ワイフが梅干の入ったおにぎりを持って追いかけてきた。
 本社へ行くときはいつも有料道路をぶっ飛ばしていくのだが、完全徹夜明けで、頭がボーッとしている。
 幸い、道路は会社まで比較的空いていた。
 朝一番から重役への報告会があり、終わってすぐ重役と部長のサインをもらって、申請書を提出する準備ができた(やったー!)。
 東京へ出張するために社屋を出て駅へ向かった。早くのぞみに乗って寝たい。
 それにしても今日の蒸し暑さはひどいな。じっとしていても汗が流れ落ちる。
 結局、行きの新幹線では1時間の睡眠がとれた。
 その1時間の睡眠が効いて、出張先ではちゃんと仕事ができた。
 仕事が終わるとすぐに帰りの新幹線に飛び乗った。外は少し雨がぱらついていた。
 帰りも1時間の睡眠がとれた。時間は短くても熟睡に近かった。
 夕方には日中の蒸し暑さがかなりやわらいでいた。
 今夜は書斎でたまった雑用を思いっきり片付けよう。
 
7月8日(火)「孫みたいな中学生に講話・・・の風さん」
 製作所で昼ご飯を少し早めに終えて、総務部の人と一緒に地元の中学校へ出かけた。依頼されて随分と日にちはあったような気がするが、実際に準備したのは昨日月曜日の未明で、昨夜再調整をしたスライドを、自宅から総務部の人へメール添付で送ってあった。ただし、会社のサーバーはばかでかいファイルは扱ってくれないので、二つに分割して送ってあった。
 今朝電話してみたらちゃんと届いていたので、出社してからのめまぐるしさの中でバタバタとやらないで済んだ(その代わり、昨夜が大変だったのだが)。
 今日の社会人講話は私だけでなく、保育士、看護師、消防士の人も来ていた。こうなると私は何でしょう? 作家や小説家というのではシャレにもならない。そうです。正解は文士ということになる。とにかく、生徒は講師を選択して聴講するのである。
 総務部の二人が一生懸命に体育館にプロジェクターとスクリーンを用意してくれた。ビジュアル講演をやる私のためである。
 用意がだいたい整ったところで、学校の図書室を見学させてもらった。冷房が効いていることと、漫画が常備されているので、昼食が終わると生徒がじゃんじゃんやってきた。男子生徒が圧倒的に多く、ほとんどが漫画の棚に殺到していた。日本の漫画はレベルが高いのだから、文句を言う気はさらさらない。
 校長室が控え室になっていて、定刻になったら女子生徒が二人迎えに来てくれた。体育館までは目をつぶっても行けるが、年齢が40も違うので、孫に引かれて行く爺さんよろしく付いて行く。
 「今日の講話は希望通りになったの?」
 ニコニコしながら尋ねたら、少女Aは首を振った。
 「本当は保育士の話を聴きたかったのだけど、教室が狭くて人数に入れなかったんです」
 「あ、そう。……それは残念だったね」
 生徒の司会で始まった。聴講生は全部で140名。挨拶も生徒代表がやって、先生は周りで見ているだけ。講話の風景を写真におさめたりしている。
 2年前に秋田高校でやった話をもう少し易しくして、30分で終えた。夢はかなう、という前向きな話だ。
 後日、感想文が届くので、それまでコメントは控えよう。
 質問が二つ出た。ペンネームを尋ねられた。想定質問だった。続いて、実名を訊かれた。想定外。平和な世の中である。私ごとき者の講話に対する問題認識などあろうはずもない。
 終わりの挨拶も生徒がした。立派な挨拶で感銘した(ちゃんと私の話を聴いてそれをベースに喋っていた)。将来の日本は明るいな。
 お礼に白い花の鉢植えをもらった。
 拙著にとても関心を持ってくれた社会科の先生がいたので、『円周率を計算した男』を進呈した。
 製作所に戻ってから長い会議があり、退社したときはもうすっかり夜の帳(とばり)が降りていた。
 作成中の英語の論文をざっと読み直して修正したものを大野先生へ送った。
 明日はもっと真剣に訂正しなければ。

7月9日(水)「毎日毎日学生・・・の風さん」
 朝から本社へ直行した。来月名古屋でJDPAのトールペインティング展があるのだが、役員をやっているワイフはその世話をしている。無料の招待券をもらった。社内で宣伝してあげようと思うのだが、以前には自職場で宣伝して失敗している。全く反応がなかったのだ。そこで今回は、本社の知り合いの女性に上げることにした。
 会議が終わって、製作所に戻る前にCD機で現金をおろしたら、残金がびっくりするほど乏しくなっていた。
 (こ、これでは、後期の授業料が払えなくなる……)
 私の作家としての収入など、ワイフからもらっている小遣いよりも少ないのだ。え? そんなに高額の小遣いをもらっているのかって? ち、違います!
 製作所へ戻ったら、招待券を進呈した女性から、「ぜひ行きたいです」といううれしいメールがあった。もちろん、2枚上げたので、彼女の場合は「母と行きます」とのことだった。
 午後、緊張する会議があって、それが終わってからも会議が続いて、結局、今夜も帰宅は遅くなった。
 書斎で、フラフラしながら、また頑張って英語の論文に手を入れて、大野先生へ送った。

7月10日(木)「あわや今週2度目の徹夜・・・の風さん」
 社内の友人へ『和算小説のたのしみ』を進呈した。年初から職場が変わってめったに顔を合わせることがなくなっていたので、訪問販売に行くのもちょっと気が引けたので、社内便にまぎれこませた。
 製作所の管理職だけの昼食会があった。いちおう部門長と呼ばれているので、偉そうに(笑)前の方に座っているが、もうすぐ引退するから皆さん許してね。
 一昨日は久しぶりに作家のような仕事をしたが、ここのところ作家の看板はおろしたままだ。そして今日は、もういくら何でも大ピンチなので、会社員の看板もおろさねばならなかった。
 ばたばたと机の上を片付けて、ミッシェルで本山へ直行した。知多半島道路と名古屋高速を利用すれば片道40分ほどで行ける。
 大野先生と約束していた論文を仕上げるためのゼミである。
 途中でドトールからホットドッグとコーヒーを持ち込んだが(今回は大野先生のおごり。ごちそうさま〜)、ピッチが上がらず(というのも、大野先生の真剣さはさすがと思えるもので、小説で推敲に膨大な時間を費やす風さんにはよく分かるのだ)、本山キャンパスのタイムリミット午後10時まで頑張ったが、半分もできなかった。
 「あとは自力で頑張ります」
 大野先生をマンション近くのレストランまでミッシェルでお送りして、私は家路を急いだ。
 帰宅して、遅い夕食を軽く食べたが、ぶっ倒れそうだった。
 それでもやるときはやらねばならない。会社の勤務管理システムも36協定も労使の取り決めも関係ない。昔タイプの私は、やるときはやるのだ。それで死んでも「名誉の戦死」と昔は言われたものだ。そもそも仕事に命をかけている人が昔はいっぱいいたのだ。
 入浴する時間も惜しんで書斎に籠もった風さんが、ようやく修正の手を止めたのは、ブラインドの外がほの明るくなった午前4時過ぎだった。それから学会事務局へ送信する準備を始めて、それが終わったのが午後5時で、そのまま夢遊病者のようにベッドまで歩いて行って、ゆらゆらと身を横たえたのである。

7月11日(金)「老兵、孤軍奮闘する・・・の風さん」
 結局、会社には遅刻したよ(笑)。
 しかし、行かねばならなかった。
 会議の合間にメール処理をするのだが、未読メールがまた増え出して1500件を越えている。
 午後、本社へ出張した。専務報告があり、ほとんど部下と同僚が対応してくれたので、私はアホ面をして控えているだけで済んだ。しかし、報告が終了して、専務が社長室へ急行しかけている絶好の機会をとらえ、ある承認案件を説明して了解を得た。こういうのを生活の知恵という(違うか)。
 その後、本社の総務部へ行った。現在の「基本理念」の前に「社是」として社内のあらゆるところに掲示してあった額を貰い受けにいったのだ。子供でも読める「基本理念」に有り難味は感じられない。難解な「社是」に感心するのは、それだけ私が年とった証拠だろう。老兵は去るのみだが、最後の最後まで前線近くで竹やりを突き出さなければならないと思っている。
 大きな社是の額が入った箱を脇に抱え、正門を出るときに持ち出しの手続きをし、ミッシェルに積んで本社を後にした。会社生活29年目も、あわただしく過ぎていく。
 この「社是」は、来週から、製作所の職場に用意する技能道場に掲げるつもりだ。私に創業者の精神を伝えることができるだろうか。

7月12日(土)「天気晴朗波低しってか・・・の風さん」
 わずかに出来た時間にやれることをやっておかなければならない。
 通常なら十分な睡眠時間でも、溜まっている疲労がその程度の睡眠では許してくれない。それでもイヤイヤをする身体にムチ打って、ベッドから脱出。寝室から出た瞬間、猛暑の1日を直感した。
 朝食もそこそこに自宅を出発。徒歩で最寄りの駅へ。すれ違う小学生は「おはようございます」と挨拶してくる。それにしかつめらしい表情で応じる。どうせこちとら爺さんだ(笑)。
 今日の目的地は眼科である。先月突然襲ってきた、あるいは今頃気が付いた飛蚊症のその後を診てもらうためだ。
 特に明るい場所では気になる。最初は左目の左側に黒い点々が並んだのだが、今では、中央部にも、黒ゴマみたいなやつや糸くずみたいなのが見える。右目だけで見ると、ほとんど何もないので、特に左目だけに起きて、ここ1ヶ月で進行したと思う。そりゃ、そうだろう。すごい生活をしているから。
 早めに病院に行ったのは正解だった。まだあまり混んでいなかった。
 30分も待たずして、散瞳させられた左目を診察室へ持ち込んだ。
 じっくりと内部の診察を受けた。
 「あのー、ひどくなった気がするんですけど」
 「特に異常はありませんよ」
 「……」
 「近眼の人や老化で起きるのです」
 「そうですか……」
 「……」
 「ええと、昔、緑内障になって手術もしたんですけど……」
 「83年ですね。眼圧は低くコントロールされていますよ」
 「そのまた昔に、網膜裂孔で手術もしたのですけど……」
 「冷凍凝固法の跡は落ち着いていますよ」
 「じゃ、今のところ何も心配ないんですね」
 「はい。今度は白内障にでもなったら来て下さい」ってなことは言われなかったが、拍子抜けするほどの診察結果で、次回の約束もなし、当方は新入りの飛蚊野郎とこれからずっと付き合うことになりそうだ(くそ)。
 帰り道。夏の日差しが散瞳させられた目に痛かった。

7月13日(日)「アメリカからお土産どっさり・・・の風さん」
 とりあえず英語の論文は出してしまった。次は発表の準備と、続いて日本語の論文作成である。
 ……ではあるが、たまには一段落気分で色々とやることがある。
 今日は、アメリカ赴任中の元部下一家が我が家に遊びに来るので、朝から歓迎の準備に精を出した。最もやらなければいけなかったことは、家の中の整理整頓だったが、これはワイフが頑張った。
 我が家は観光地にある。夏本番となると、海水浴客もどっと押し寄せる。そういった混雑の中、せっかく我が家までたどり着いても、どこへも行けないだろうと、朝食も早々に、知多半島の南端豊浜にある「さかな広場」に地元の名物を買いに行った。ただし、有料道路で往復したので、短時間の買い物だった。あとは、拙著をみつくろっておいたので、私のお土産はそれで準備OK。
 小学校2年生の男の子も連れてやって来た。現在は一人っ子状態だが、素直に育っている。いきおい話題は子供中心になる。アメリカ生活を知らない我々は、昨夜、インターネットでいくらか予習をしておいたので、かろうじて話題についていけた。
 後半の赴任期間が残っているが、元気一杯の様子を見て、安心すると同時にうらやましい気もした。今日はアメリカのお土産たくさんありがとう。一家の前途に幸多かれ!
 夕食後、たまっていた手紙書きに専念した。3通完成させることができた。
 今日は読みかけの本も読み終えた(今年やっと23冊目)ので、まずまずの一段落気分を味わうことができた。

7月14日(月)「鳴海風老人大いに語るの巻」
 先週手に入れた「社是」の額を持って早めに出社した。
 通勤路の田舎道でネズミ捕りをやっていた。こんな見通しが良くて飛ばせる道でネズミ捕りなんかやめてほしい。最も事故が多発するのは交差点である。悪質マナー運転こそ取り締まって欲しい。
 ミッシェルで正門を通過するとき、守衛が詰め所から駆け寄ってきた。
 「@@@中学校の先生が持って来ました」
 封筒を渡された。
 宛名に「鳴海風先生へ」とある。
 私を鳴海風と知っている守衛も只者ではないが、そんなことが起きる製作所というのも、これは普通ではないだろう。会社員鳴海風は完全に社内でクロスオーバー人材(多重人格?)になっている。
 席について、封筒を開いてみると、先週の社会人講話の感想文が入っていた。140人の中の一部である(恐らく優秀作文)。私のつたない話でも、言わんとすることを深く洞察したような文章で、またまた日本の将来は明るいと思った。
 無事に「社是」は現場に渡すことができた。その前に、職場の課長以上に、世界企業こそ、古文調で毛筆で縦書きになっている「社是」が必要だ、と持論を吐いた。ついでに、宝塚で観劇した「黎明の風」の侍ジェントルマン白洲次郎が、サンフランシスコ講和条約で演説をする吉田茂のために、巻紙に毛筆で書いた原稿を用意させて、日本語でスピーチさせたエピソードを話して聞かせた。『国家の品格』ではないが、真の国際化とは英語を操ることではない。祖国の歴史・文化・伝統を学ぶことで、よりいっそう愛国心を持つことである。
 とにかく掲額が楽しみである。
 「社是」を譲ってくれた本社の室長へ、お礼に拙著を差し上げたいが、とメールしたら、ぜひ、との返事だった。地元の中学といい、巨大な勤務先といい、鳴海風を知る人はどんどん増えていく。
 

7月15日(火)「暗記に挑戦・・・の風さん」
 今朝も早起きして出社。製作所の近くの交差点で、交通安全立哨に立つのである。大会社に勤務していると、こういったボランティア活動に積極的に参加しなければならない。今朝は、自分の職場の仲間も一緒なので、何となく楽しい。
 しかし、まだ8時前だというのに、日差しが強い。じっと立っているだけだが、けっこう体力を消耗する。道路の反対側で旗を持って立っている仲間もつらそうだ。
 定時に席に戻った。喉がカラカラ。数日前に学会へ送った英語の論文を、協力してくれた同僚にメール送信して感謝の気持ちを伝えた。また、先週、「社是」を譲ってくれた社内某部署の室長へ、こちらもお礼の気持ちを込めて『和算小説のたのしみ』を送った。
 昼休みに9月の国際学会聴講の準備を少しした。
 夕方、本社へ移動して会議に出て、たそがれ時に退社した。
 帰宅したら、岡山県在住の詩人で作家の川越文子さんから、新刊の詩集『もうすぐだからね』(銀の鈴社)が届いていた。こちらの執筆が困難になっていると、他人の新刊ラッシュでややショックを受ける。とは言え、今は辛抱の時かも。
 早めにシャワーを浴びてベッドに横になって英文の暗記に挑戦した。今夜は30の文章である。学生時代から暗記が嫌いで、恐らくとっても苦手だと思う。まして、54歳という初老である。十分挑戦に値すると思うのだが……。

7月16日(水)「努力以外に手段を持たない昔タイプの男・・・の風さん」
 今朝も早起きして本社へ直行。会議を終えてから、製作所へ戻った。今日も暑いぞ。
 昼食のために外出した。それは来客があったからだ。1年半前までご指導いただいた先輩が、久しぶりに職場に来られたからである。以前と全く変わらずお元気で、私の老化ぶりが目立ったかも。
 製作所の近くにこんなに美味しい蕎麦屋があるとは知らなかった。収穫。
 夕方から会議が二つあり、それが終わったのが8時である。最近、社内では「ワークライフバランス」というくだらないルールができて、徹夜で会議の準備といったことができなくなっている。今日は、8時以降の残業はやめましょう、ということで、最も戦力になる若手社員からどんどん退社している。残っているのはロートルの管理職だけだ。しかし、その管理職も、やがて勤務管理がシステムで厳しくなされるようになる。年寄りが昔のような仕事ができなくなってしまうとなると、もはや、これからの会社の運命は本当に若手に任せるしかない。短時間の労働で世界のトップを維持するにはどうすればいいのだろう。昔型の私には難しい課題だ。その私は、作家として、学生として、昔通り、土壇場になれば徹夜も辞さず、体力の限界まで頑張るしかない。
 今夜も、30の英文の暗記に挑戦するつもりだ。
 

7月17日(木)「感動が生む詩の世界・・・の風さん」
 昨夜の就寝前の英文暗記はなかなかの苦行であった。とにかく疲労と睡魔で深い夜の底へ沈み込もうとしているのに、無理やり意識を覚醒させ、黙読した英文を、本を閉じて音読してみる。うまくできたら次の文章といった感じで進めるのだが、ついつい目を閉じてしまう。
 しかし、何とか昨夜も30個、やり終えた。読んだり書けたりできる英文が、聴いたり話したりできない理由が、実はしっかり自分のものになっていなかったのだと、ようやく分かった。54歳の挑戦はまだ始まったばかりだ。
 帰宅して、一昨日届いた川越文子さんの『もうすぐだからね』を読んだ。孫が4人次々に出来た感動のエネルギーがこの詩集になったのだ。とてもよく分かる気がする。
 まだ私には孫はいないが、遅かれ早かれ、そういう日は来るだろう。子供が出来て、孫が出来て、健康に育っていく。それが人間がこの世に生まれてきて成し遂げる最も価値ある仕事だと、今頃になって気付いた(名前を忘れたが、ある著名な詩人が新聞に書いていて、考えさせられた結果、私もそう思うようになってきた)。だから、この自然のサイクルを素直に受け入れられるような気がする。他人の感動でも、何となく分かる気がするのだ。
 先日、ワイフとバカな会話をした。知人の家に生まれた3人目の子供の名前を推理している場面だ。
 「上の二人の子の名前がとっても素敵なのよ」
 「ふーん。どんな?」
 「海君と空君というのよ」
 「それはまた雄大な名前だね」
 「3人目は何という名前だと思う?」
 「さあ?」
 「よく考えてみてよ」
 「海に空、と来たら、当然、風だな」
 私は詩的な気分で自信を持って答えた。
 「貴方の想像力は貧困ねえ」
 「なに? じゃ、海に空と来たら、何がぴったりなんだ?」
 「海に空、と来たら、陸に決まっているじゃない」
 ワイフは私を嘲るように言い放った。
 むっときた私はすかさず反論した。
 「海、空、陸と並んだら、そりゃ軍隊だよ」
 どうもぼくら夫婦には孫が出来ても詩はできそうもない。
 それにしても空海陸とは雄大で独創的な命名だな。将来、日本の危機を救う人物になるだろう。

7月18日(金)「社長報告をするかと思えば交通安全立哨・・・の風さん」
 6時5分にセットした目覚ましで目が覚めたが、また少し眠ってしまった。
 梅雨が明けていないのか、小雨がぱらついていた。
 7時にミッシェルで本社へ直行した。有料道路を降りるまでは順調だったが、市街地へ入る頃から道路が混み出した。天気が悪いと道路が混むのはいつものことだが、今日は8時半から本社で社長報告がある。遅刻するわけにはいかない。とりあえず同僚の留守電に「オフィスに寄らずに社長室へ直行するかもしれない」と伝言を入れた。
 実際直行することにはなったが、滑り込むような切羽詰った到着ではなかった。
 ……。
 昼食に照り焼きどんぶりを食べた。本社ではついついボリュームのある昼食になってしまう。
 昼一番から社外の客と会い、今後のビジネス展開について意見交換した。
 製作所に戻る頃には晴れ間がのぞくようになっていて、ミッシェルの冷房を強くしなければならなかった。
 定時後、今週2度目の交通安全立哨をすることになっていた。今日は、駐車場への出口付近で、私の職場の仲間が次々にやってくる。週末で晴れやかな表情だったのが、おかしな上司が黄色い帽子に襷がけ、交通安全標語の書かれたのぼりを抱えて立っているのを発見して、一気に気分がぶち壊されたようだ。おまけに変な声をかけるものだから、この週末は縁起が悪いと唇を噛んだに違いない。何しろ、普段、何をやっているのか、職場のほとんどの人には分からない私である。
 1時間の立哨を終えて、やっと帰宅したら、昨日はペコに退治されたゴキの死骸が迎えてくれたが、今日は球切れの玄関灯が……つまり暗い玄関が迎えてくれた。どうやら私の週末も決して明るくはなさそうだ(笑)。

7月19日(土)「昼寝している間に・・・の風さん」
 昨夜は英文の暗唱をせずに寝てしまった。疲れていたのだ。
 今朝、目が覚めたら、珍しく寝室に冷房が入っていた。
 今日は久しぶりに作家に戻ろうと思いつつ起きた。
 ……しかし、そうは簡単に問屋が卸さなかった。午後になって早くも疲労感が襲ってきて、書斎の床に伸びた……ら、そのまま寝てしまった。
 いけねえ、と思って起き出して、やっとの思いで机にしがみついて、読みかけの本を開いたら、右の上腕部に変な感触が……。反射的に腕を振ったら、床に蜘蛛が落ちた。黒っぽい土蜘蛛だ。益虫なので虐待はしない。その後も机の上やパソコンの横に現れてすばしこく走り回っていた。
 夜になって階下へ降りたら、今日もペコがゴキを捕まえたという。今年、早くも3匹目だ。
 今夜は兄貴夫婦が墓参にやって来るので、その前にゴキを退治してくれたとは上出来だ。
 一人で東京の美術館めぐりに出かけた次女が帰宅するのと、兄夫婦が福島から到着するのが、ほぼ同時だった。私が昼寝している間に、皆大変だったのだ。
 新聞で高校野球、秋田大会の結果を注目していたが、母校、秋田高校は準々決勝で敗退した。ようやく梅雨が明けたというのに、これで風さんの今年の夏は早々と終わってしまった。

7月20日(日)「今日は名古屋で昼寝・・・の風さん」
 午前中、兄夫婦と一緒に父の墓参をした。型通りの墓参に加えて、兄は父への手紙を朗読した。家族の近況を伝えるもので、兄の脊柱管狭窄症の手術や私の前立腺肥大の手術、そして老いが目立ってきた母の様子など、素直に語りかけながら、父への追慕の念が切々と伝わる内容だった。
 その後は、兄の希望に従って、名古屋は大須の元祖「天むす」の店へ行って天むすを食べ、さらに猛暑の中、名古屋城を見学した。そのあたりでもうすっかり疲れてしまい、市内の観光スポットをめぐるバス「メーグル」に1時間10分も乗って名古屋駅へ向かった。その間、私は、ほとんど眠っていた。赤ん坊の昼寝と一緒だ。
 夕方、JRタワーズの上の方にあるスターバックスに休憩がてら寄ったが、店員も客たちも私には珍しい眺めだった。とにかく若者ばかりだ。雑然とした中にも活気があって、時代のエネルギーを感じる。そういう中、ひたすら勉強している子がいるかと思えば、痛いほど耳に太いピアスを刺しながら、消化器官を酷使するような食べ方をしている(明らかにビョーキの)小娘もいる。日本で一番裕福な土地の光と影を同時に見る思いがした。
 夜は、名古屋で働く長女も合流して、名古屋コーチン(本物)の店で、極上の親子丼を食べた。新潟の酒「八海山」の純米吟醸に気持ち良く酔ってしまった。

7月21日(月)「平穏無事な1日・・・の風さん」
 なんとかマンデーという言い方があるが、あまり関係ない。いつものように少し早く家を出て出社。
 54歳の挑戦、つまり英文の暗記に挑みながらミッシェルを走らせて、製作所に着いた。やはり相当に脳が機能劣化を起こしている。もともと不得意な暗記ではあるが、さっぱりだ。しかし、やらねばならぬ。9月下旬の学会発表で史上最悪の恥をかかないように。
 学会発表といえば、先週、大野先生から私学助成金がもらえることになったという連絡があった。先生の予想通り満額ではなかったが、エコノミーで行けば、ドイツへの往復航空券代にはなりそうだ。そのためにも英語を勉強しなければ。
 毎週月曜日の定例行事で、神棚に参拝、ラジオ体操をやってから、職制ミーティングだ。続いて昼間でエンドレスの会議。
 昼休みにも英語の勉強をしようとたくらんでいたが、1分の余裕もなかった。たまったメールの山崩しで終わってしまった。そうでないと未読メールがまた2000件を超えてしまう。
 午後から本社へ出張。またミッシェルで英文の暗記に挑戦……しようとしたが、焼け付くような日差しに気が遠くならないようにするだけで精一杯。
 本社の仕事を終えて帰宅したのは午後8時半過ぎだった。
 昨日から帰省している長女と話しながら夕食と摂り、その長女が買ってきたケーキをデザートにして、書斎には入ったものの、激しい疲労感で何もやる気にならない。読みかけの本を少し読んでから、さっさとシャワーを浴びて寝ることにした。
 カレンダーを見てふと気が付いた。今日は「海の日」だという。祭日らしい。「海の日」って何だ? 浮世ばなれしている私は「海の日」も知らない。でも、ま、いっか〜。
 こういう1日を、私は平穏無事な1日と言う。1年365日の中の貴重な1日を、これではいけないと思う。しかし、こんな日もあるから、何とか生きていられるのかもしれない。

7月22日(火)「今日も平穏無事?・・・の風さん」
 今日も少し早めに出社した。神棚に参拝したりラジオ体操をするためではない。今日も多忙な1日が約束されているからだ。
 早々と会議が始まり、それが終わると、メールチェックする暇もなく本社へ出張。早くも強くなってきた日差しが英文の暗記を邪魔する。
 午前中、協力会社とのトップ会談に同席し、続けて上司の代わりに会食にも同席し、午後からは勤務先の社外向けのギャラリーの案内にも同行した。
 予定では、この後、製作所へ戻ることになっていた。
 ところが、ここで思わぬことが起きた。
 その協力会社が、初めて私の勤務先で技術展示会を開催していたのだが、見学者の入りが極端に悪いのだ。本社地区だけで1万人を超える社員がいて、しかもほとんどが技術者だと言うのに、である。私のお節介の虫が騒ぎ出した……と言うより、今後いっそう協力をしてもらわなければならない会社に対して、こんな失礼は許されない。
 私は展示場の入り口のレイアウトを通行人が入りやすくしたり、そこに立って呼び込みをやったりと工夫してみたが、あまり効果は上がらなかった。それで、止むを得ず、自職場へ行って、片っ端から声をかけて歩くローラー作戦を展開した。自職場のあるフロアには、技術者が300人以上いる。さらに、別のビルへも足を伸ばして、ぜひ見学に来て欲しいと行脚もしたのだ。
 開催時間を30分以上延長してもらっても、私が当初期待していた入場者数には届かなかった。
 私の孤軍奮闘をねぎらってはもらったが、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 帰宅したら足が棒になっていた。
 夕食後、居間のソファで足を投げ出し、読みかけの本を読み終えた。三浦しをんさんの『むかしのはなし』である。想像を絶する技巧的な物語だった。今年は、これで25冊目である。 

7月23日(水)「ちっとも平穏無事ではない1日・・・の風さん」
 昨夜気まぐれ日記をアップしてから、5通の礼状を作成した。メールで済ませられるものはすぐにメールで済ますが、手紙を書こうと思ったものは、いつの間にか日にちが経過して、気が付いたときには1ヶ月以上経過していたり、何通もたまっていたりする。昨夜はぶっ倒れそうな疲労感の中、必死の覚悟で礼状書きに着手した。そして、午前零時は過ぎてしまったものの、何とか5通書き上げた……と書いても具体性が不足しているな……(^_^;)。
 ユニセフカード4枚とユニセフはがき1枚である。ユニセフカードは二つ折りなので、その内側に印刷する。カードを入れる専用封筒の宛先も裏の差出人も、印刷してデザインを統一する。封印にもユニセフシールを使用する。ユニセフはがきは裏に絵が印刷されているので、空いているスペースに文章を印刷しなければならない。そのため、いったんスキャナーで読み込んだ画像をお手紙ソフトに取り込んで、隙間に文章を挿入し、印刷時には画像を削除する。
 ……といった具合に、手間ひまがかかるのである。達筆とまでいかなくても右手が不自由でなければ、ちゃちゃっと手紙もはがきも書けるのだろうが、それができないので(どうしても手書きの時は左手で書くけどね)、こういった面倒なことをやるのである。
 今日は定時後に上司の送別会があるので、電車で出社した。会社バスが迎えに来てくれる駅で降りて、やっと5通の礼状を投函することができた。
 学生は既に夏休みに入っているが、受験を控えている(と思われる)学生は電車の中にも町にも多い。会社バスから眺めていると、高校生が列をなして日盛りの田圃道を黙々と歩いている。団扇を使っている男子、日傘を差している女子高生などがいる。
 今日も暑くなりそうな天気だ。
 午前中は休憩なしの会議で終わってしまった。
 昼食後、9月の国際学会の参加費用をCD機から振り込んだ。直後、振り込み内容を、先方へファックスした。
 会議がなくて自席で仕事できる絶好の状況にもかかわらず、異常な気温上昇のせいか、体がだるくて能率が上がらない。
 そうこういしているうちに夕方になってしまった。
 部下がファックスのエラーメッセージを持って来てくれた。ちっ、電話番号を間違えてやがる。
 今夜は上司の送別会があるので、会社バスでまた最寄りの駅まで行かねばならない。そわそわし出した頃に、同僚が血相を変えてやって来た。聞くと、息子さんが交通事故で意識不明だと言う。彼も送別会に行く予定にしていたが、そんな場合ではない。すぐに帰宅するように言って帰らせた。
 別の同僚と一緒に退社し、会社バスに乗って、名鉄に乗り換えて名古屋へ向かったのだが、途中ほとんど会話する気力が出なかった。深刻な事態に悪い想像ばかりが頭をよぎるからだ。
 金山駅で地下鉄に乗り換えて栄駅に着いたとき、帰宅した同僚から電話が入った。別の同僚も偶然そこで一緒になっていた。
 3人ともドキッとしたが、「骨折はしているが、命に別状はない」という報告に、ホッと胸をなでおろした。不謹慎だが、これで今夜は安心して酒が飲める、と思った。
 実際、そうなった。ビールで乾杯した後、冷酒、モスコミュール、カシスオレンジと飲み継いで、すっかり酔ってしまった。
 給仕をしてくれた目付きの鋭い若い子が長女と同年齢ぐらいに見えたので、元部下の同僚と年齢の当てっこをした。
 「うちの21歳の長女と同じくらいだと思う」と私。
 「いいえ。下ですよ。10代だと思います」と元部下。
 その子がやって来たので、恥知らずの初老の男(私のこと)は、ずけずけと長女とどっちが上か尋ねた。
 なんと長女の方が上だと言う!
 すかさず「10代でしょ?」と元部下。
 「はい」とその子。
 やられた! あまり悔しかったので、
 「このオジサンは若い子に手を出すから気を付けてね」と言ってやった。
 帰りの電車で眠りこけて、あやうく乗り過ごすところだった。
 帰宅し、喉が渇いていたので、アイスクリームを食べ、水をがぶがぶ飲み、シャワーを浴びて、さっさと寝た。

7月25日(金)「英語の勉強は楽し・・・の風さん」
 ここ数日、暑くて早くから目が覚める。今日も体温を超える猛暑の中、社外セミナー講師のために出張した。プレゼン資料はモバイルパソコンのアシュレイに入っているので、それを持参した。しかし、入院・手術以来筋力が衰えていて、こういった重い荷物を運ぶのはけっこうつらい。
 セミナーはマイペースで進めた。昼食時に午後の講師と様々なビジネスの話題で歓談することができて楽しかった。半年後にまたこの人と会えるのが楽しみである。
 心配していた通り、重い荷物を運んできたことが腰に来た。猛烈に痛いのだ。やはり毎晩少しずつでも腹筋と背筋を鍛えなければ、と思った。でも、就寝前というのは最も時間がないんだよなあ。フラフラでベッドに倒れ込むのだから。そうだ。書斎で気分転換にやればいいのだ。帰宅して、とりあえずロキソニンを飲んでしばらく横になった。
 徹夜を繰り返した挙句、英語の論文を提出してからも、まだ英語の勉強をしている。論文作成のときは、論文英語の参考書をバイブルにしていたが、今は、9月の発表を目指しての勉強である。発表原稿を作ってそれを読み上げればいい、というものではない。質問に答えるという作業と、海外から来ている研究者との交流も視野に入れている。私学助成金が何とか手に入ったので、来年3月までにドイツへ行くつもりだ。そのための人脈作りができれば、とも思っている。電子メールのやりとりだけでは、何となく心もとない。
 9月までの英語の勉強の重点は旅行会話では無論ない。「モノづくり」と「ビジネス」と「技術」がキーとなる。そのためのCD付きの参考書は入手済みである。読破するのではなく、暗記するほど頭に叩き込むつもりだ。実際に、もう着手しているのだが、この挑戦がいかに困難なものか分かってきた。年とってからの語学が大変だと言われるのも実感として分かってきた。頭と耳と口がうまくシンクロしないのである。しかし、この挑戦は面白い。37歳で中断した英語は学問的な勉強に偏り過ぎていた。それを、今ようやく実用英語として学び直そうというのだから。
 昨年購入したケータイはウォークマンとしても使えるものだった。深夜零時を過ぎてから、パソコンにソフトをインストールし、英語のCDをいったんパソコンに取り込んでから、ケータイへ転送した。できた! これで、ケータイを使ってわずかな空いた時間にもヒアリングの勉強ができそうだ。

7月26日(土)「息子の話・・・の風さん」
 次女が美術科の合宿に出かけている。長男は土日の夜はバイトである。晩御飯を家で摂る必要がないので、ワイフと外食することにした。かねて狙っていた長男のバイト先の焼肉店である。
 夕陽が東の地平に湧いている雲をオレンジ色に染める頃、ミッシェルで出発した。留守番は猫2匹と亀1匹だ。
 長男のバイト先まではクルマで小一時間かかる。観光地に住んでいるので、観光客が帰る方向と一致していて、クルマの混雑が予想されたが、それほどのことはなかった。
 「クルマが振動するたびに変な音がするわね」
 「来週中に13万キロになる。ガタはきてるさ、僕の体と同じだ」
 その焼肉店に行くのは私も家内も初めてである。長男は厨房で食器洗いか何かをしているはずだ。店に挨拶もしないし、働いているところを覗いたりもしないからと言って、昨夜、長男の了解は得ていた。
 名鉄の駅のすぐ近くにあるその店はけっこう大きく、また駐車場も広かった。ミッシェルを停めて、店へ向かおうとする僕らの前に小さな子供の手を引く親子連れもいた。
 仕切られた小座敷とテーブル席は、かなりの客で埋まっていた。焼肉店らしい肉の脂と煤に汚れた空気はなく、てきぱきと動き回る店員の応対にも好感が持てた。ワイフは狙い通りの冷麺を注文し、初挑戦好きの私はトック(韓国もち)を選んだ。
 長男の姿は見えなかったが、私たちは満足して店を出た。
 続いて、私の提案で、映画を観に行くことにした。長男は今夜はバイトの後飲み会があるそうで、帰宅しないからだ。
 観たい映画は「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」。前作から18年後の1950年代という設定だそうだ。何やら懐かしい。映画そのものも19年ぶりとか。
 ディズニーシーのアトラクション「インディ・ジョーンズ」は、肉体的な苦痛を伴わないので好きだ。
 冒険物語はエンターティンメントなので特にコメントはしない。しかし、どのようなストーリーでも重要なことは人間を描くことで、そのためには特殊な設定が効果的になる。今回は登場人物にその工夫がされていた。
 冒険旅行に一緒に出かけるのが、マットというジェームス・ディーンのような風貌の若者で、考古学の老教授インディとの世代のずれたやりとりが楽しい。やがて後半で、第1作に登場したヒロインのマリオンが出てきて、実は若者マットがマリオンの母親だというのだ。マリオンがインディの別れた妻なので、マットは正真正銘インディの息子で、18年目にして初めて出会ったという設定なのだ。
 初めて長男のバイト先へワイフと行った帰りに、息子と出会うインディ・ジョーンズの映画を観たという、面白い偶然の夜となった。
 「今日観た映画みたいにディズニーシーのアトラクションも変わるといいわ」
 「よしてくれ」
 映画では、インディたちは3度続けて滝つぼへ落下していた。

7月28日(月)「天変地異の予兆か・・・の風さん」
 出社して神棚に参拝、ラジオ体操……いつもの月曜日が始まった。
 昼食を摂る会社の食堂の東側は、一面ガラス張りで絵画のような田園風景が一望に見渡せる。今日はその田園風景が不気味な暗灰色に煙っていた。朝は晴れていたのにスコールのような土砂降りである。連日の猛暑が嘘のようだ。天変地異が起こる前触れかもしれない(実際、全国で突風や河川の氾濫で事故が多発した)。
 雷雨の中、本社へ出張した。ミッシェルの積算距離計がまた進んで、13万キロを突破した。今週末に車検に出すことにした。ついでにグリップ力の落ちたタイヤも全交換する予定。自分の体の弱ったパーツも簡単に交換できるといいのだが……。
 帰宅時には雨も上がっていた。雨で冷やされた大地の上を、冷たい風が渡っていた。
 
7月29日(火)「自宅でエコノミー症候群・・・の風さん」
 昨日のお湿りというか冷却効果が残っていて、今日もそれほどの暑さは感じない。
 目覚ましでバッチリ早起きして、本社へ直行。
 有料道路を降りてから英語の勉強を頑張る(高速走行中は聞こえないので)。
 昼前に製作所に戻ったが、何となく体がだるい。まだ本調子に戻らないうちに夏に突入したので、けっこうバテテいるのかも。
 早めに退社した。
 昨日はミッシェルに給油して帰宅したが、今日はホームセンターに寄って観葉植物の栄養剤を買って帰宅した。
 この間社会人講話で中学校からもらった白いアンスリウムと、以前からあるドラセナの根元にぐさぐさっと挿した。明日は庭にある竜舌蘭(リュウゼツラン)にも挿してやろう。
 今夜もいつものように書斎に籠もったが、さっぱりやる気が出ないし、論文を始めても根気が続かない。運動不足で足がむくんでいる。自宅でエコノミー症候群になってどうする?

7月30日(水)「猫道・・・の風さん」
 目覚ましで目が覚めたが起きられなかった。昨日と同様に熱帯夜ではなかったのに……。体調がイマイチ。
 ミッシェルで農道のような通勤路を走りながら、とうとうこの時期まで、昨年のような亀の大移動に遭遇していないことに気が付いた。昨年が異常だったのかもしれない。あるいは、昨年の大移動で多くの亀が死んでしまったのかもしれない。
 出社してスケジューラーをチェックして驚いた。
 終日、真っ白である。つまり、会議ひとつ入っていないのだ。これは1年に1日あるかどうかという「奇跡の日」である。
 ところが、午前中は、たまった未読メールの山崩しで終わってしまった。
 午後になって、時間を作って論文の準備をしようとしたが、昨夜の書斎の状態の続きみたいで、ちっとも集中できない。
 ちょっと現場に出かけ、戻ってきて少し立ち話のような会議をやって、それからまたパソコンに向かってみたものの、やはりガッツが入らない。どうも不調だ。「少し休め」という天からの信号だろうか? しかし、そんな余裕はないのだ。
 とにかく、今日はいつも以上に早く退社することにした。
 製作所内では年中行事の一つ、グランドゴルフ大会が始まった。
 その歓声を尻目に製作所を出た。
 まだ日は高い。サングラスをかけ、気分を変えるために猫道(通勤路)をやめて、違うコースへ侵入。近くで評判の蕎麦屋の場所をチェックしてから、昔よく使った道へ入った。ここも懐かしい田舎道だ。今の勤務地になっている製作所が、まだ私にとって出張先だった頃によく通った道である。
 帰宅して、夕食を摂った後、ワイフと芸術のオリジナリティについて議論した後、書斎に籠もった。
 さて、今夜は少しは仕事が進むだろうか。

08年8月はここ

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